230128-29m

プッチーニのトスカ、東京文化会館にて、1月28日に聴いた。
  オペラと云うとなんとなく、オーケストラコンサートとは雰囲気は違って、華やかな印象なのは、オペラでも最も人気のある作品の一つの「トスカ」の公演だからということもあろうが、オペラとオーケストラとは微妙に聴き手の層がわかれるのかもしれない。今日は曲目のせいか女性が多く、またご夫婦連れ多かった。それも華やかに感じさせる原因だろう。オーケストラコンサートではあまり聞けない、女性同士の楽しそうな会話もそう感じさせる一因になっているのだろう。

  さて、「トスカ」と云うオペラは実に演じる側は難しいだろうなあと、幕が降りるのを見ながら今日はつくづく感じた。その要因はなんだろうかと考えてみたが、今日のプログラムにヒントが書いてあった。それはこのオペラは二重唱の連続だということである。したがって2人の力量(声の魅力、劇的表現力など)にアンバランスがあると成り立たないのである。
  1幕でいえばトスカとカヴァラドッシ、トスカとスカルピア、2幕でいうとカヴァラドッシとスカラピア、トスカとスカルピア、そして3幕はほとんどトスカとカヴァラドッシの2重唱である。つまりこの主役の3人がそろわなくては聴いていてなかなか満足のゆく公演にはならないのだ。

  しかしこのトスカと云う曲は、一方そう思って(今日はうまくいってないなあ)、聴き進んでゆき、最後にトスカがサンタンジェロ上から飛び降りて、幕が降りると、今日はいい音楽を聴いたなあと云う不思議な感動というか、満足感を味わってしまうのである。おそらくここがプッチーニ嫌いの人が嫌なところだろうなと思うのである。結局プッチーニの音楽の術中にはまり、すべては洗い流され、良い音楽を聴いたという記憶のみが残るという塩梅ではなかろうか?まさに今日の公演はそうであった。

  話はそれるが、日本人で蝶々さんが嫌いと云う人は結構おられるが、そういうかたでも、2幕の蝶々さんが子供を前にして「もう芸者に戻るのは嫌だ」という歌を聴き、そして幕切れの自害の場面の歌を聴き、なんとも嫌な話だと思いつつ、涙を流してしまう。実はかつては私もそうだったのだ。その時の照れくささが嫌なのだった。けれどもいろいろ変遷があって、もちろん今はワーグナーもプッチーニも私にとっては重要な作曲家です。まあ余談です。

  話題を今日の公演に戻そう。キャストは以下の通り。
指揮:鈴木恵理奈
演出:松本重孝

トスカ:小林厚子
カヴァラドッシ:澤崎一了
スカルピア:折江忠道
アンジェロッティ:伊藤貴之
堂守:押川浩士
スポレッタ:松浦 健
シャローネ:龍 進一郎
看守:坂本伸司
牧童:網永悠里

藤原歌劇団合唱部、多摩ファミリーシンガーズ(児童合唱)
東京フィルハーモニー管弦楽団

  演出について一言。今日の公演は新演出だが、まったく奇をてらわず、衣装、装置ともに、ト書きにほぼ忠実であり、音楽に集中できた。新演出でこういうまっとうな演出でオペラの舞台に接することができるのは、今日では稀有の事なのでうれしかった。
  以下は、演出や歌について各幕ごとに見てゆこう。

  今日聴いて1幕が最も不満。2幕が最も満足。一言でいうとそういうことだ。
1幕、幕が開き右手がカヴァラドッシが絵を描くためのやぐら、右手奥がアッタヴァンティ家の礼拝堂。左手にはマリアの小さな像が立っている。マリア像に向かって座席がしつらえてある。奥には5本の列柱が舞台を横切っている。
  1幕での不満の一つは沢崎のカヴァラドッシ、最初のアリア「妙なる調和」は声が出ているが、何か他人事のようで、トスカへの熱い情熱が聴き手に伝わらない。そしてトスカとの2重唱もアンジェロッティが気になってか(?)同じ印象で、1幕のテーマの「愛」に埒があかない。
  トスカの小林は安定しており、気持ちもこもっている、不満はなくはないがまずは順調な滑り出し。
  スカルピアの折江が第2の不満。登場シーンから最後の「テ・デウム」まで声がまるで出ていないように聴こえる。語尾は揺れるし、ふがふが声で、このスカルピアは年齢設定が7~80歳くらいではないかと思わせる。要するに一幕はみなそろそろと足並みそろわずスタートだ。登場人物の動線もいつもの藤原らしくなく、ギクシャクしているように見えた。特にスカルピアとトスカの絡み。
  指揮の鈴木も丁寧なのは良いが、メリハリがなく、さらさらと音楽が流れてゆく。エンジンはまだ冷たい。

  しかし、2幕は大いに心が揺さぶられる舞台だった。まず折江のスカルピアは相変わらずの声だから声だけ聴いていると嫌になるが、トスカが絡むシーンになると、一種の異常人格者のようなぬめぬめした、不気味な声が、いかにもスカルピアらしく聴こえる。トスカが毛嫌いするのはよくわかる。ここは流石の演技力だった。
  小林のトスカの「歌に生き恋に生き」、これはこれで見事な歌いっぷりだが、それ以上に2幕全体に流れる、1幕の幸せの絶頂から、奈落の底に突き落とされた、トスカ、「信心深い私がなぜのこんな苦しみと恐怖を味合わなくてはいけないのか」と云う思いが歌に乗せられて聴きとれるのがすごいところだ。例えばカヴァラドッシが悲鳴を上げ、スカルピアが「黙らせろ」という。その後のトスカの「いったい私はあなたになにをしたというのでしょうか~」と歌う。この絶望感は恐ろしいばかりだ。それを小林は聴かせてくれる。まさに2幕は暴力と恐怖の幕なのであり、それをトスカとスカルピアが見事に演じている。
  オーケストラもそういう舞台に合わせて凄味が出てくる。スカルピアがトスカに刺される場面などの、迫力は見事だ。
  2幕の舞台はト書きに近い。右手奥にスカルピアの食卓兼執務テーブル、左手手前は赤いソファー。左手奥には書見テーブル。ステージ左手には地下室に続く入り口がある。右手には燭台、そして十字架がある。
  スカルピアが死んだ後トスカはその燭台に火をつけ、頭の左右に一台づつ置く。胸には十字架を置く。ト書き通りの演出。なおトスカはスカルピアの首に2回ナイフを突き立てる。

  脇役で今日は感心したのは松浦のスポレッタである。彼はスカルピアの部下であるが、内心は心服していない。トスカに同情している節もある。絶えず祈っているのだ。これは確か過去の2019年のニッセイオペラや2017年の二期会でもこのような設定だったと思う。このような場面がないとやりきれない幕だからうまい演出だと思う。松浦はそういうスポレッタを見事に歌っている。かれはプッチーニではゴローなども見事である。私は内心では日本のピエロ・デ・パルマと思っている。(ご本人はご不満かもしれないが)。
  澤崎はまだ調子が出ない。ヴィットーリアと叫ぶ場面もここまで引っ張る必要はなかろう。

  澤崎が息を吹き返したのは3幕の「星は光りぬ」、これは感情がこもっていて、生への渇望を見事に歌っている。この幕はこの1曲で大いに輝く。
  この幕冒頭のオーケストラの弦の響きやそれに重なる鐘の響きなどムード一杯だった。
  ただ羊飼いは成人の女性が歌っていたが、大人の声のように歌っていたのでこれはもう少し何とかならなかったものか?少年に歌わせるか、成人の女性でも少年らしく歌わせるか、ちょっと興ざめの場面。
  舞台奥手はサンタンジェロ城の屋上の壁。階段で壁にたどり着く。右手は階下に続く階段。左手は牢獄に続く階段である。カヴァラドッシは正面階段の前で銃殺。トスカは左手手前袖で見守る。最後はトスカは階段を上り、壁に立ち後ろ向きで飛び降りて幕となる。この最後の場面いつもながら心が動かされる。

  演奏時間は124分(拍手含む)
  なお、本公演はダブルキャストで、キャスト表を見ると29日の公演はずいぶん違うように聴こえるだろうなあと思った。そういう意味ではぜいたくを言えば両公演を聴くべきかなと云う印象を持った。

  日本人の公演では過去2017年の二期会の公演がベストだと思う。特に今井俊輔のスカルピアは歌唱も凄いが、これほどスカルピアが気味悪く、邪悪に演じられた舞台は過去聴いた事がない。
                                        〆