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エジソン対ウエスティングハウスの「電流戦争」を描いた作品は、よく目に入る。カンバーバッチとマイケル・シャノン主演の「エジソンズゲーム」やクレアー・ムーアの小説「訴訟王エジソンの標的」など記憶に新しい。子供のころの発明王のエジソンとは随分違った実像が最初は驚いてしまうが、まあそれが史実に近いのだろう。

 さて、この「テスラ」という映画は天才ニコラ・テスラ(イーサン・ホーク)という東欧の移民の生涯を描いた作品である。ご存知のように電流戦争は交流で決着がついたわけだが、それにはテスラが発明した交流モーターが大きく影響という。
 しかしこの作品はその電流戦争以降の狂信的な発明家テスラを描いて、その実像に迫る。JPモルガンに電力会社は買収され、それに伴って、莫大なロイヤルティが入る予定だったテスラには一文も入らない。屈辱的なモルガンからの借金や、モルガンの娘とのロマンス、名女優サラ・ベルナールとの交友など、要するに、エピソードの積み重ねで、大きなドラマがあって、それに向けて物語が展開するという構成には、なっていないので、映画はまさに点描的で、的が絞れない。貧窮の中で死ぬテスラは、資本主義に敗れた発明家を思わせ、哀れを誘う。
  イーサン・ホークは熱演だが、どうもしっくりこないのはいかなるわけだろう。彼は「その土曜日、7時58分」のハンクのような役のほうが適役だと思うのだが?どうしても天才発明家には見えない。




もう一本は戦争映画。アウトポストは前哨基地と云う意味だ。ちょうどアメリカがアフガニスタンから撤退する時期にみたのも偶然とはいえ出来すぎている。

 ヒンドゥクーシュ山脈の山間、パキスタンとの国境に近い場所に、小規模(100人くらいか)の米軍の基地がある。目的はパキスタンからのタリバンの流入阻止と近隣住民との融和であった。しかし映画の中でも指摘されているが、この基地の位置は、すり鉢の底のような地形であり、山上から、RPGやら、迫撃砲やらで攻撃されたら、ひとたまりももない。そのような基地を守る兵士を描く、英雄的な物語である。

 しかし、戦略的に無防備なところに基地を作って、攻撃を撃退したことが、本当に英雄的な行為といえるのだろうか?兵士からすれば悪夢のような激戦だったろう。これを機に基地戦略を見直したというが、素人でもわかる、馬鹿な基地をなぜ作ったのか?
 これは、おそらく、地元民との融和を優先したのだと思わざるを得ない。学校を作るといったり、要は札束で住民の歓心をかうということであるが、突如基地を作って、札束を持ってきて、学校を立ててあげるといわれても、ああそうですかとはいかないだろう。アメリカ人はそういうことにも気づかない。この映画ではそういう反省が込められているが、果たして、何を反省したらよいのか、本当はわかっていなかったのではあるまいか?と思わざるを得ない映画だ。暗澹とした気持ちにさせられる作品だ。〆