2021年5月23日

オペラを聴き始めて半世紀と8年がたった。そのなかでヴェルディはもっとも重要な作曲家である。学生時代はワーグナー一辺倒だったが、社会人になって、ある機会からイタリアオペラにのめりこむことになった。いま最も自宅で聴くオペラはヴェルディかプッチーニ。ワーグナーはもうほとんど聴かなくなってしまった。体力の衰えとともにワーグナーはもう全曲がもたないのかもしれない。

 さて、今週も緊急事態宣言下で、この「絶望的音楽三昧」から抜け出られないが、新国立劇場で「ドン・カルロ」が聴けるので楽しみにしている。ヴェルディの「ドン・カルロ」はヴェルディの中でも好きな曲だ。ちなみにヴェルディと云うと「オテロ」、「マクベス」、「トロヴァトーレ」、「アイーダ」、そして「ドン・カルロ」が大好きなベストファイブである。ただ不思議なことに「ドン・カルロ」だけは、さて、聴こうと思ってCDを引っ張り出そうとすると、とても迷うのだ。
 しかし、そのほかの4曲は全く迷わない。「オテロ」はカラヤンの旧盤、「マクベス」はシノーポリ盤と迷うが、結局アバド盤、「トロヴァトーレ」はシッパース盤、そして「アイーダ」はカラヤンの旧盤である。
 ところが、「ドン・カルロ」となると我が家にある5セットのどれを聴くか、とても迷うのである。結局第一選考で残るのが、カラヤン盤、ショルティ盤、で後はその時の気分で聴く。
今週、「ドン・カルロ」を聴きに行くにあたって、5セットを聴き比べようと云うのが、今回の「絶望的音楽三昧」の趣向である。なぜCD選びに迷うのか、おわかりいただけよう。

 さて、5セット全部聴くとなると、15時間くらいかかるので、いくら暇とはいえ、ちょっと苦痛なので、自分の思う「肝」の場面に絞って聴いてみた。
 それは5幕版でいうと、第3幕の第一場、そして第4幕の第一場である。このオペラは政治劇と愛憎劇の混淆するドラマティックな筋立てて、その象徴がこの2つの場面だと思うのからある。

 その5セットについてのデータと私の印象は次の通りだ。
 なお、配役は以下の順番に記述する。演奏の版については、楽譜と照らし合わせたわけではないので自信がないが、ほぼあっていると思う。
  ①フィリポ2世
  ②ドン・カルロ
  ③ロドリーゴ
  ④大審問官
  ⑤エリザベッタ
  ⑥エボーリ姫

1.ガブリエレ・サンティーニ盤(1961年)/スカラ座(おそらく廃盤)
  (1886年、モデナ版、イタリア語,全5幕)/演奏時間190分


  ①ボリス・クリストフ
  ②フラヴィアーノ・ラボー
  ③エットーレ・バスティアニーニ
  ④イヴォ・ヴィンコ
  ⑤アントニエッタ・ステルラ
  ⑥フィオレンツァ・コッソット
 このCDでとりわけ、印象が強いのはドン・カルロ役のラボーである。彼が1972年(多分)イタリア歌劇団とともに、来日して「トゥーランドット」のカラフを歌ったのだが、それで、私は一気にイタリアオペラにのめりこむようになる。この時は他に、「ノルマ」なども演じられたが、すべて、エアチェックして毎日聴きまくっていた。後年その話をオペラ好きの友人に話したら、なんと、この「ドン・カルロ」を見つけてきてくれたのである。早速聴いてみたがラボーの声に懐かしさが先に立って、平常心ではきけないCDである。
 そのほかの聴きものは、バスティアニーニのロドリーゴが素晴らしい。ドン・カルロが卑小に見えるほど、高貴で英雄的だ。
 ステルラは今日ではほとんど聴かれないソプラノだが、セラフィンの指揮の「トロヴァトーレ」などでも歌っており、テバルディやカラスに負けずとも劣らない。このCDでもいかにも王妃然とした、気品と輝きが聴ける。コッソットのエボーリも良いが可憐すぎるような気がする。もう少し妖艶さが欲しい。クリストフのフィリポはギャウロフで洗脳されている耳には少々辛い。
 サンティーニの指揮は手堅いが、グランドオペラとしてのスタイルとはちょっと違うような気がした。録音は古いが聴くのに妨げにはならない。なお、この演奏は5幕の幕切れは1867年パリ初演版で演奏しており、静かに終わる

2.ゲオルグ・ショルティ盤(1965年)ロイヤル・オペラ(これもおそらく廃盤)
  (モデナ版、イタリア語、全5幕)/演奏時間198分

ドン・カルロあ


  ①ニコライ・ギャウロフ
  ②カルロ・ベルゴンツィ
  ③ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ
  ④マルッティ・タルヴェラ
  ⑤レナータ・テバルディ
  ⑥グレース・バンブリー
英デッカのオペラ録音の黄金時代のころの作品。ショルティはワーグナーで多くの録音をデッカに残したがヴェルディの演奏も傑出している。RCAで録音した「リゴレット」は好きな演奏だ。この他のヴェルディでは「死者のためのミサ曲」が圧倒的なすばらしさ。
 この「ドン・カルロ」はプロデューサーのジョン・カルショー、エンジニアのゴードン・パリーとの組み合わせの録音で、今回聴いた5セット中では屈指の録音だ。オペラハウスの音場が聞きとれるところが、たとえ作られた音場であっても、素晴らしいと思う。
 ショルティの豪快な指揮は、カラヤンの豪壮華麗な指揮とともに、この5枚の中では傑出している。グランドオペラのスケールを味わえる名盤である。
 歌い手もデッカの擁する綺羅星のような名歌手たちの競演で聴きごたえがある。5セットの中ではもっとも歌手のバランスが良い。特に、ギャウロフ、ベルゴンツィ、テバルディは秀逸である。わずかにドイツ人のディースカウが少々出しゃばりすぎの感があって、煩わしい場面があるのが私には不満である。3幕のエボーリ、ドン・カルロ、ロドリーゴの3重唱もそこがちょっと不満だ。4幕のタルヴェラの声は大審問長にしては少し明るいが、ギャウロフとの対比でいうとそれほど気にはならない。これは私の一押しの「ドン・カルロ」である。


3.ホルスト・スタイン盤(1970年10月ライブレコーディング)ウイーン国立歌劇場(これもおそらく廃盤)
  (おそらく1884年、リコルディ版、4幕、イタリア語)/演奏時間169分
ドン・カルロ3

  ①ニコライ・ギャウロフ
  ②フランコ・コレルリ
  ③エバハルト・ヴェヒター
  ④マルッティ・タルヴェラ
  ⑤グンドラ・ヤノヴィッツ
  ⑥シャーリー・バーレット
 この盤はなんと言っても。コレルリが聴きものである。まあそのために買ったようなものだ。全盛期とは言えないまでも、彼の輝かしい声は他を圧する素晴らしいものだ。少々弱弱しいドン・カルロにしては立派すぎるかもしれないが、四の五の言わせない、存在感がある。
 ヤノヴィッツのエリザベッタはミスキャストかと思ったが、聴いてみると全くそうではなく、この5セットのなかでも1,2を争う素晴らしさ。3幕(4幕版)の1場のフィリポに軽蔑された後に歌う、歌唱は悲痛極まりなく、胸を打つ。バーレットのエボーリ姫は、姉御みたいな歌い方で、ちょっと驚くが、「DONO FATAL,~」の迫力の前には言葉もない。
 スタインの指揮はこれだけの歌手の前ではあまり手を出せないなあ、といった印象。
 録音は、この当時のライブとしては良い音だが、オペラの舞台が見えるような録音ではなく、歌手にフォーカスしている。

4。ヘルベルト・フォン・カラヤン盤(1978年)、ベルリンフィル(廃盤)
  (これもリコルディ版、イタリア語、4幕版)/演奏時間181分
ドン・カルロ1


  ①ニコライ・ギャウロフ
  ②ホセ・カレーラス
  ③ピエロ・カップチルリ
  ④ルジェーロ・ライモンディ
  ⑤ミレルラ・フレーニ
  ⑥アグネス・バルツァ
ショルティと並んで、一押しである。なんといってもカラヤンの指揮が素晴らしい。先にも書いたが豪壮な「ドン・カルロ」と云えば、まずこの盤が思い浮かぶほどである。しかし最近聴くとちょっとしんどいところがある。例えば2幕の2場のグランドフィナーレなどは豪華で聴きごたえがあるが、ちょっと大げさでないかと思われるところもないではない。カラヤンと云えばウイーンフィルと録音した「オテロ」や「アイーダ」(いずれも旧盤)が彼のオペラ録音では随一のものだと思うが。このEMIの「ドン・カルロ」は過去のそういった、デッカで録音したイタリアオペラとは少しスタイルが変わったように思われる。しかし、そうはいっても、今日これほどの録音はそうざらにはなく、いまもって、カラヤンの代表作としての燦然とした輝きは失ってはいない。ウイーンフィルと録音したらまた印象が変わったかもしれないが、それはないものねだり。

 歌い手はどれも素晴らしいが、なかでもカレーラスのドン・カルロはいかにも白面の貴公子然として、ベルゴンツィと甲乙つけがたい。そして何と言っても傑出しているのは、カップチルリのロドリーゴである。これはバスティアニーニと甲乙つけがたい。ギャウロフ=フィリポというほどぴったりの役どころで、もう彼のフィリポ以外は考えられない。

 フレーニのエリザベッタは過去のステルラやテバルディに比べると、王妃のイメージは少々乏しいのが物足りないところ。バルツァの歌唱は圧倒的といえよう。

5。クラウディオ・アバド盤(1983年)スカラ座(輸入盤で入手可能)
  (1886年、モデナ版をフランス語に戻したもの。5幕版)/演奏時間232分
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  ①ルッジェロ・ライモンディ
  ②プラチド・ドミンゴ
  ③レオ・ヌッチ
  ④ニコライ・ギャウロフ
  ⑤カーチャ・リッチャルリ
  ⑥ルチア・ヴァレンティーニ・テラーニ
アバドのヴェルディは「マクベス」と「シモンボッカネグラ」の2本が私にとって唯一無二の演奏であるが、はてそれ以外のヴェルディと云うと「死者のためのミサ曲」以外あまり印象に残らない。この「ドン・カルロ」も私にはショルティやカラヤンの演奏と比べると大人しく、なんとなく影は薄いような気がするのはもう好みの問題かもしれない。フランス語というのもなんとなくしっくりこないのだ。

 歌手ではエボーリ姫のテラーニの歌唱が素晴らしい。彼女は初めてスカラ座が来日した時にヴェルディの「死者のためのミサ曲」を歌ったが、その感動的な声が忘れられない。この「ドン・カルロ」を聴くとその時の歌唱を思い出す。早逝したのが残念な歌手だ。
 リッチャルリはフレーニの時の印象と同じ。二人とも素晴らしい声だとは思うが、エリザベッタの私のイメージとは違うような気がする。
 ドミンゴのドン・カルロは少々立派すぎ、ヌッチのロドリーゴは少々貧相。ギャウロフとライモンディはカラヤン盤と役が入れ替わっているが、おそらくアバドの意図だろうが、狙いがわからない。

 さて、以上で5セットのレビューを終えるが、1983年以降ではどういうレコーディングがあるのかわからない。しかしどう転んでもこの5セットを凌駕する録音が出てくるようには思えない。
 オペラの新録音は少ないので、発売されるとつい手を出してしまうが、大体一回聞いてお蔵入りだ。例えば、「アイーダ」のパッパーノ盤。カウフマンのラダメスの「清きアイーダ」を聴いただけで、もう先を聴く気がしなくなってしまった。カウフマンが日本でリサイタルをやった時に、同じく「清きアイーダ」を歌ったが、まあ技巧を凝らした歌唱と云えば、聞こえが良いが、本当にアイーダを愛しているとは思えない。だからいまは新録音は全く聴かない。懐古趣味の老害と云われても仕方がありませんが。

 さて、余談になってしまったが、最後に「ドン・カルロ」のベストキャストを選んでみた。

フィリポ2世:ニコライ・ギャウロフ
ドン・カルロ:ホセ・カレーラス、カルロ・ベルゴンツィ(コレルリは好きだけれど少々立派すぎる、ラボーは別格)
ロドリーゴ:ピエロ・カップチルリ、エットーレ・バスティアニーニ
大審問官:ルッジェロ・ライモンディ
エリザベッタ:アントニエッタ・ステルラ、グンドラ・ヤノヴィッツ
(ステルラとテバルディは同系なので、ステルラを選んだ、ヤノヴィッツはフレーニやリッチャルリの延長線にあるような気がするのでその代表として選んだ)
エボーリ姫:ルチア・バレンティーニ・テラーニ、アグネス・バルツァ

なお、録音はもっともオペラハウスで聴いているイメージに近いのは古い録音だけれどショルティ盤である。


5/31、追記
我が家にもう1セット「ドン・カルロ」があった。リッカルド・ムーティ指揮のものだ。ムーティが壮年期に録音したヴェルディのオペラ11曲と死者のためのミサ曲が、28枚のCDに収められているCDボックスを失念していたのだった。
21_1104_02


データは以下のとおりである。
6.リッカルド・ムーティ盤(1992年、ライブレコーディング)ミラノスカラ座
(リコルディ版、4幕版、イタリア語)

①サミュエル・ラメイ
②ルチアノ・パヴァロッティ
③パオロ・コーニ
④アレクサンダー・アニシモフ
⑤ダニエラ・デッシー
⑥ルチアナ・デンティノ

今回久しぶりにこの演奏を聴いて、大いに感動してしまった。それはムーティの統率の元、歌い手たちは、この悲劇の中の人物を、あたかも実像のごとく歌っていることを改めて気づかされたからである。歌い手たちは単に譜面通りに歌っているのではなく、切れば血の出る人間として歌っているのである。
このオペラの主人公たち、フィリポにしろ、エリザベッタにしろ、エボーリにしろ、そしてドン・カルロは、大きな苦悩を背負っている。それが歌声を通して感じ取れる。それはおそらくムーティのリードなくしてはあり得ない。緩急強弱は相当激しいが、ライブを感じさせる激しさで、当日この演奏を聴いた人たちがうらやましい。そういう演奏だ。(このスカラ座の公演はゼッフィレリの演出と云うから、2重にうらやましいことだ。)

 特に2幕の1場の3重唱、3幕1場のフィリポのアリア、そして大審問官とフィリポの対決、続くフィリポ、エリザベッタ、ロドリーゴ、そしてエボーリ姫との4重唱、締めはエボーリ姫のアリアどれ一つとっても、火を噴くような演奏である。

 歌い手はまず、ラメイのフィリポ、明るく若々しい声は、ギャウロフの重い、重厚な声とは違うが、繊細な感情表現が素晴らしい、特に2幕の1場のアリアがそうだ。そして大審問官との対決も政治劇を感じさせる激しさ。ムーティに応えている。
 次いでデッシーのエリザベッタ、そのしっとりと濡れたような、若々しい声は魅力的で、独特の雰囲気のエリザベッタである。等身大のエリザベッタを感じさせる。3幕の4重唱の悲しみは胸を打つ。
 デンティノのエボーリはそれに対して、少し重々しい。大人の声を感じさせる。今まで聴いてきた歌い手の中では、テラーニに近い。3幕1場アリアの激烈さは、ムーティの作る音楽に乗って、圧倒的な感銘を与える。

 この3人に比べると、少々物足りないのは大審問官。作り声のような発声は、私には聞き苦しい。
ロドリーゴは3人に比べると印象が薄い。

 問題はパヴァロッティだろう。そののびやかな声は、57歳の当時も依然変わらないが、その屈託のない、歌いっぷりはムーティの作るドラマとの整合性と云う意味では、少々浮いた歌唱と感じられた。別格大本山というべきだろうか?

年末になって画像をチェックしながらタワーのカタログを見ていたらほとんどの演奏が、オンラインでは入手不能と云うのはオペラファンとしては何とも情けない。